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『刀剣乱舞』に見る和柄~宗三左文字~

『……宗三左文字と言います。
今川義元が討たれた時、僕を戦利品として得た魔王によって磨上られ、刻印を入れられてから今の僕があります。
……ですから、義元左文字、とも呼ばれています。
その後は豊臣秀吉、秀頼、徳川家康、そして徳川将軍家と僕は主人を変え、天下人の持つ刀として扱われました。
……なぜ、みんな僕に、そんなに執着したのでしょう
ね……』

『いいんですか?かごの鳥を表に出して……冗談ですよ。』

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憂いを帯びた色違いの瞳に桜色の髪の毛…何故だかとても妖艶な雰囲気

もともとは戦国時代、畿内の三好宗三から甲斐 武田信玄の父、武田信虎に贈られた刀でした。 その後、武田信虎が今川氏と和睦を指すものとして娘の定恵院を嫁がせる際に一緒に持たせます。その婿の今川義元はこの刀を自分の愛刀としてとても大切にしました。…しかしながら桶狭間の戦いにおいて義元は戦死してしまいます。 そう、そのとき織田信長が戦利品として宗三左文字を得ます。『永禄三年五月十九日義元討補刻彼所持持刀織田尾張守信長』と刻印までし、自分の愛刀とするのです!!

宗三左文字の言葉に見る『魔王』とは正に織田信長のこと。信長は宗三左文字を大切にし、本能寺の変まで手元に置きました。

『僕は、油断したが故に討たれるという真似はしたくありません』

この言葉は義元のことでしょう。 今川義元は今でこそ織田信長に討たれるべくして討たれたように描かれますが、当時は押しも押されもせぬ大大名でした。

本能寺の変の後は豊臣秀吉、豊臣秀頼、徳川家康と天下人の手を転々とし最終的には徳川将軍家に代々受け継がれていきます。…つまり宗三左文字は常に天下を取る者の手にある運命にあると言われてきたのです。

そして江戸時代、明暦の大火に遭ってしまいます。 再刃されたのはその後のこと。

明治維新後、明治天皇が信長に建勲(たけいさお)の神号を贈って建勲神社が創建されます。

その際徳川家から奉納され、重要文化財とされますます…平穏な日々が訪れ、ようやく落ち着いたのでしょうか…?

ゲーム内に登場する『左文字』は3刀で、宗三は打刀。

他に江雪(太刀)、小夜(短刀)の2刀あって『左文字兄弟』などと呼ばれています。

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特徴として夫々が僧職風の着物を纏っています。

着けているのは『袈裟(けさ:梵語で『壊色・混濁色』を意味するカシャーシャの音訳)』といい、仏教の僧侶が身につける装束のひとつ。

また宗派などにもよりますが、左文字兄弟の袈裟は水田のように縫い合わされた布でできています。よってこのように特徴的な格子模様に仕上がるというわけです。

          今回紹介するは宗三左文字の高麗屋格子(こうらいやごうし)kesa

『僕に触れられると思いましたか?』

太い筋と細い筋を等間隔に1本ずつ交互に配し、縦横に交差させた格子縞で、横より縦の間隔が広い縦長の格子です。

江戸時代の歌舞伎役者、四代目・松本幸四郎が狂言『鈴が森』の中で町奴・幡随院長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ)を演じた時に、この格子柄の合羽を着て好評を博しました

松本幸四郎の屋号『高麗屋』から、『高麗屋格子』『高麗格子』と呼ばれ大いに流行しました。

…なぜこの格子柄なのでしょう。

…宗三左文字は徳川4代将軍家綱の時代に明暦三年(1657年)の江戸を襲った大火(振袖火事)により、火を被り、焼かれてしまいます。…幕府はこれを探し出し再刃するのですが…

歌舞伎での鈴が森というとまず、侠客幡随院長兵衛が美少年・白井権八を呼び止める「お若えの、お待ちなせえ」以下の名セリフなどを思い起こされますが、その鈴が森にはお話どおり、かつて刑場がありました。

鈴が森刑場は小塚原と並ぶ江戸の二大刑場。そう、あの八百屋お七もここで火あぶりにされたというおそろしい場所でした。

 『焼かれたときに比べれば…これでも軽いくらいですよ。』

…更には格子。 『篭の鳥』つまり遊郭の遊女たちと江戸の町を隔てる檻を想像させます。

『僕は……かごの鳥と一緒ですよ。使われることもなく、ただ在ることだけを求められる……。』

このように宗三左文字の袈裟の高麗屋格子柄には彼自身と、江戸の悲しい歴史が織られているのです。

さて、ほかの悲しき左文字兄弟についてはまたのときにお話し致しましょう。

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