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琳派とは その一

琳派は日本を代表する造形技術

琳派と言えば桃山時代に俵屋宗達で始まった流派、または、美術家や工芸家らやその作品を指す名称です。
派とはついているものの、こだわりのスタイルであり一貫して師弟関係を持つことは無く、技術の伝搬が行われない特徴がありました。俵屋宗達に影響を大きく受けた尾形光琳や尾形乾山、更に影響をうけた酒井抱一も琳派ですが、師弟関係でもなければ活動時期も違うので当然面識もありませんでした。
それでも次から次と、違う世代に琳派は影響を受けた人たちが独自のデザイン性に富んだ様式を作りあげていくというのは、何とも素敵な伝統です。琳派の代表作は舞楽図屏風や風神雷神図屏風を挙げられる方が多いです。
いずれも琳派を代表する絵師 俵屋宗達の至高の作品として、後々に沢山の方に影響を与えた作品とも言えます。琳派は日本が誇る文化なのです。

鈴木其一

鈴木其一は1796年に生まれ、1858年に没した江戸後期の絵師です。同じく琳派で名を高めていた坂井抱一に認められて弟子となりました。
酒井抱一譲りの写実性ある絵に琳派の伝統を加え、また意表をつく発想によって、明治以降の日本画に通じる意匠を生み出しています。
其一の代表作である「藤花図」は、薄紫の藤の花が非常に細微に描かれています。一つ一つの花の色合いや形状も異なる職人の仕事です。
「水辺鵞鳥図屏風」でも鵞鳥の水かきや嘴など非常にリアルに描写され、一羽一羽の動きも多彩で実に躍動感があります。「業平東下り図」や「歳首の図」では、掛け軸の周りの表具に絵を描く「描表装」という技法を用いています。細微な敷物の模様までも絵で表現している一種のトリックといえる描き方です。もと僧侶であった其一ならではの技法といえます。

神坂雪佳

神坂雪佳は1866年生まれ、1942年没、京都御所勤めの武士の家に生まれています。絵は始め四条派に学び、次いで俵屋宗達や尾形光琳について造詣が深い岸光景の教えを受けています。
1901年にヨーロッパ各国を視察する機会を得た雪佳はそのときの経験を生かし、京都市立美術工芸学校で学生に教えつつ、1913年には光悦会を結成し、琳派の再生を目指しました。
雪佳の代表作として知られる「百々世草」は3冊にわたって出版された豪華な木版画集で、宗達や光琳、抱一などの画風を再現したものとなっています。細見美術館に所蔵されている「金魚玉図」は空中に浮かんだ金魚が玉の中でこちらをにらみつけているという、宗達に通じるユーモアがあらわされています。

俵屋宗達

俵屋宗達は江戸時代初期に活躍した琳派を代表する画家です。
現在では俵屋宗達の名前で知られますが、俗称では野々村宗達と呼ばれていたとされています。俵屋宗達の作品は江戸時代後期から明治時代にかけては現在よりもかなり評価が低く扱われがちでしたが、現在では同じ琳派の尾形光琳などと並ぶほど非常に評価が高まっています。
俵屋宗達の代表作は何といっても『風神雷神図』でしょう。
風神と雷神を描いたこの作品は、現在は京都の建仁寺に奉納されています。風神雷神図は寛永年間に描かれたとされますが、詳しくは定かではありません。
現在ではこの風神雷神図は国が指定する「国宝」に指定されています。風神雷神図の他にも、俵屋宗達の作品のいくつかは国の重要文化財や国宝に指定されています。

尾形乾山

尾形乾山は尾形光琳の5歳下の弟であり、1663年に生まれ、1743年に没しています。
光琳が絵師を専門にしたのに対し、乾山は陶芸を志したように、2人の資質は異なっていたものの終世仲のよい兄弟であったといわれています。
「銹絵観鴎図角皿」では光琳が絵を描き、乾山が裏の書をしたためるという兄弟の合作になっています。
乾山の代表作には、薄の葉と歩を縦横無尽に交錯させた外側と、白化粧を施した地に染付で菱型の格子文を連ねている意匠をもつ「染付金彩薄文蓋物」や、懐石用の器の先駆けとして名高く、梅や、波に帆掛け舟、流水に浮草などのデザインが映えている「銹絵染付金彩絵替土器皿」、美しく紅葉が映える「色絵紅葉図透彫反鉢」などがあります。

中村芳中

中村芳中は生年は未詳、1819年に没しています。上方を中心として活動していた絵師であり、江戸滞在中の1802年に『光琳画譜』という版本を刊行し、それによって江戸市中の尾形光琳愛好がさらに強まったといわれています。
芳中の代表作としては、四季おりおりの草花を納めた画帖である「花卉図画帖」があります。梅や蕨、へちま、菊などが描かれており、芥子や桔梗を描いている様子からは、琳派独特の「たらし込み」という、草花のしなやかさや動物の触感を表現する技法を味わうことができます。
細見美術館に所蔵されている「白梅小禽図屏風」も芳中の代表作であり、たらし込みを大胆に利用して金地の上に、老木の質感を見事に表現している一方、デフォルメされた梅がユーモラスさを演出しています。

渡辺始興

渡辺始興は1683年生まれ1755年没、江戸中期に活躍した京都の絵師です。
はじめは狩野派に学んでおり、後に尾形光琳に師事したと江戸時代後期の画史では語られています。年記のある作品が少ないため、はっきりわかっていることはそう多くありません。リンパ特有の技法を用いて描いた「鳥類真写図巻」は円山応挙に影響を与えたといわれます。
渡辺始興は、芸術に造詣の深かった関白・太政大臣を務めたことのある近衛氏に遣えており、古今の様々な技法に通じていました。始興の代表作に「吉野山図屏風」があり、円い青々とした山と、満開の桜が山裾にダイナミックに描かれています。山間の金砂子が霧か靄のように用いられており、桜の輝きを強調しています。

酒井鶯蒲

酒井鶯蒲(さかい・ほう)は文化5年(1808年)、浄栄寺の香阪壽徴の二男として生まれました。幼少時の通称は八十丸です。文政2年(1819年)には酒井抱一の養子となり雨華庵唯信寺の後継者となります。号は伴清、雨華庵、獅子丸、獅現などがあります。
酒井鶯蒲の代表作は「酒井抱一像」(シアトル美術館蔵)、「六玉川絵巻」(バークコレクション)、「扇面散図屏風」(東京国立博物館蔵)などがあげられます。
早世したため、残された作品は多くないとされていましたが、近年の調査で量・質ともに充実した発見が行われたためにこの説は覆されました。抱一とは非常に良い師弟関係を築いていたようで、抱一のことを「御父様」と呼んでおり酒井姫路家からお咎めをうけたというエピソードも伝わっています。

喜多川相説

喜多川相説は、生没年は分かりませんが17世紀から18世紀の江戸時代前期に金沢地方で活躍した、琳派画家と言われています。俵屋宗雪の没後に工房の伊年を後継し、宗雪と同音異語の俵屋宗説と記述される場合もあります。
黒部市美術館にある、喜多川相説作の四季草花図押絵貼屏風の款記によると72歳とあり、長い間創作活動をしていた事を窺わせます。作風は宗達独特の技法であるたらし込みを用い、琳派の特徴である色豊かな装飾が少なく、墨画で淡い色の草花図を得意としました。
代表作といわれる上に挙げた四季草花図押絵貼屏風は、屏風の一扇ごとに別々の草花図を貼り付けたものです。江戸時代の画家の中では、喜多川相説の現存する作品数は多く、約40点といわれる絵のほとんどが草花図です。

村越其栄

村越其栄は、江戸時代の末期に活躍した絵師です。屏風等を主に手掛けており、花を中心とした作品を多く手がけました。代表作としては夏秋草図屏風があります。この作品は夏から秋にかけての草花を前面に描き、季節の移り際を繊細に示した作品です。
村越其栄は鈴木其一から琳派を学び、独自の作品を作るようになりました。活動拠点には千住を選び、寺子屋を作って活動していました。60歳で亡くなるまでに、多数の作品を手掛け、四季草花図のような作品も残しました。
今でも千住の琳派として知られており、展覧会が開かれることもあります。ちなみに息子の村越向栄も絵師として活躍し、父の名に恥じぬ作品をいくつか手がけました。親子揃って琳派を作ってきたことも有名な話です。

俵屋宗雪

俵屋宋雪は、生没年は不詳となっていますが俵屋宗達の工房の印章である、「伊年」を継承した宗達の後継者として活躍した人物です。宗達の子や弟との説もありますが、定かではありません。1642年には朝廷から法橋の位を受け、八条宮の新築御殿の襖絵を描いています。宗達の画風を継承する一方で、狩野派の画法も研究しており、2つの技法を組み合わせたところに特徴があります。
宋雪の代表作に、東京国立博物館に所蔵されている重要文化財の「秋草図屏風」があります。夏から秋にかけての草花が鮮やかに描かれており、6種類ほどの菊、女郎花、桔梗、撫子、金泥で葉脈が描かれた葉など、壮大な作品です。京都国立博物館に所蔵された「籬菊図屏風」にも宗達の款がありますが、時代が下った別人の作と考えられています。

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